天使が空から
上空で何者かが旋回している。天使かもしれないと思ったのは、腹が白く見えるからだけではなく、ここが寺社の裏手にある墓地だからだった。
散歩のついでに思いがけず野鳥鑑賞にうってつけの場所を見つけた。都心の坂の多い街にあり、墓地の敷地の北端は崖のようになっている。そこから隣接する森を望み、じっとしていれば警戒されない程度の距離を保ちつつ、木々に出入りする野鳥を観察するのだ。
なじみの顔ばかりだけれど、すこし身を潜めているだけで、どこからともなくたくさんの小鳥たちが集まってくる。観察スポットとして暗に知られているのか、どうやらそちら方面の趣味を持つと思しき、双眼鏡を提げた男性と会った。少し立ち話をすると、オオタカも営巣しているんですと彼は言う。そういえば以前訪れたとき、地上の楽園に来たかと思うほどのけたたましさいさえずりや地鳴きの中に、聞き慣れない声を聞いたのだった。姿はみえないが周期的にピー、ピーと鳴いている。スマートフォンの録音機能にその声を吹き込み、後日聴き返しながら声の正体を調べているうちに、オオタカのそれに近いということに行き当たったのだったが、まさかこんな場所にいるだろうかという疑問が結論を留保させた。
旋回運動に気がついたのは、小鳥につられてふいに空を見上げたときだった。8の字を描くかと思うと、円環は寸前で閉じられることなく、どこまでものびていく。カラスの飛び方ではないことはあきらかで、であれば街中でよくみかける猛禽類としてトビの可能性はあるけれど、見覚えのあるフォルムとはどこか違う。特徴的なヒュルルルルという声も聞こえないし、なにより飛翔するすがたのたおやかさといったらない。ハヤブサが都市部の高層ビルに営巣しているという話をテレビのドキュメンタリーで見たことがあるけれど、博物館でみた剥製の存外小さな印象と頭の中でくらべても、上空のそれはひとまわりほど大きく見えた(残念ながら、下から見上げたシルエットごとに猛禽類の見分け方が図示されたA4クリアファイルを手に入れたのは、ずいぶんあとのことだった)。
それにしてもずいぶん高くまで上昇している。都会のこんな場所でも気流を感受し、高度を稼ぐことができる力をぼんやりとうらやましく思った。同じ場所をぐるぐると旋回しているのは、獲物となる小動物に狙いを定め、仕留める機会を窺っているのだろうか。思い出したように持っていた双眼鏡を覗いてみるけれど、遥か上空で動き続ける対象を追いながら焦点をあわせるのは難しいうえ、倍率の低いレンズが結ぶ像は種の判別に至るには小さく、ただ腹が白いということだけが認められた。
訝しながら見上げているとだんだん首のうしろが疲れてきた。目線を下げて疲労を紛らわし、また上空を向き直そうとした瞬間、猛烈なスピードで空から垂直に落ちてくるなにかが、音もなく頭上に現れた。咄嗟に首をすくめた。目前を掠め、向かいの森の茂みへ消えて行った。流線型のフォルム、白い腹。瞬く間に過ぎ去ってしまったから断言はできないけれど、目に映ったそれはたしかに白い腹をこちらに向けていた……。
空を見上げると彼の姿はなかった。